【寄稿】倒産と再起 ― 佐藤健一氏の告白 第5話:再起の光と影 ― 分断される信用社会

ファクタリングの違法性と契約について

再び立ち上がっても、同じ場所には戻れない

 倒産から二年。
 私はようやく、小さな会社を再設立することができた。
 顧客も少しずつ戻り、事業も軌道に乗り始めている。

 けれど、かつての自分がいた場所――あの「普通の社会」には、もう戻れない。
 それは、誰かに拒絶されたからではなく、社会の構造そのものが変わってしまっているからだ。

 AIスコアが日常の一部になり、個人の信用が自動的に数値化される時代。
 再起したとはいえ、私は「スコアの低い起業家」というレッテルを背負ったままだ。
 商談の席では、相手が私の履歴を見ていることを感じる。
 会話の端々に、データがつくる“無言の差別”が滲む。

 再起しても、同じ舞台には立てない。
 信用社会は、表向きの「再挑戦支援」を謳いながら、見えない格差を生み出している。


“信用格差”という新しい階層社会

 現代の金融・取引システムは、見事なまでに効率的だ。
 AI審査、信用スコア、行動履歴分析。
 これらが「合理的な判断」を下すと称して、人間の価値を自動的に線引きする。

 しかし、この線引きが新たな信用階層社会を生んでいる。
 スコアが高ければ優遇され、低ければ排除される。
 過去の失敗は永久に記録され、「リセット」は存在しない。

 しかも、その構造の裏で“合法ヤミ金”や“危険金融”が巧妙に入り込み、
 スコアから弾かれた人々を狙い撃ちにしている。
 法の抜け穴を突き、制度上は「金融業ではない」と主張しながら、
 実質的には金利規制を回避する“脱法金融”が蔓延しているのだ。

 つまり、信用スコア社会が生んだ“見捨てられた層”を、
 また別の搾取構造が飲み込んでいく。


再起の光の裏にある「見えない分断」

 私は、再起を果たした起業家として、多くの支援者に恵まれた。
 だがその一方で、倒産仲間の中には二度と社会に戻れなかった人たちもいる。
 返済に追われ、家族を失い、やがて生活保護すら受けられなくなった者もいた。

 なぜ、再起できる者とできない者が分かれるのか?
 それは「運」でも「努力」でもない。
 信用再生の仕組みが、人を助けるように設計されていないからだ。

 再起を支援すると称する制度の多くが、結局はスコアや審査に依存している。
 つまり、信用を失った人が支援を求める段階で、
 すでに「支援の対象外」とされているのだ。

 これは、倒産者に限らない。
 フリーランス、個人事業主、シングルマザー、病気で働けなくなった人――
 “スコアが低い”というだけで、チャンスを奪われる人々が増えている。
 この分断を、私は「データによる差別」と呼ばずにはいられない。


数字に支配される社会で、人間性はどこへ行くのか

 AIが判断し、システムが線を引く。
 私たちはその枠の中で、知らず知らず「評価される側」として生きている。

 倒産した過去を持つ私は、その枠の外に立たざるを得なかった。
 しかし、その外に立ったからこそ見えたものがある。

 それは、信用とは数字ではなく、行動の積み重ねであるということ。
 誰かを助け、誠実に対応し、責任を果たす。
 そうした「人間の姿勢」こそが、社会の信頼を支えているはずなのに、
 今のシステムはそれを測ることができない。

 だからこそ、私は思う。
 信用を“データの結果”に委ねるのではなく、
 “人間同士の対話”の中に取り戻す仕組みを作るべきだと。


立ち上がる者たち ― 小さな革命のはじまり

 最近、同じ倒産経験者たちと小さなプロジェクトを立ち上げた。
 名付けて「リスタート・ネットワーク」。
 倒産や債務整理を経た人たちが、互いに助け合い、
 実績を共有し、信用を“共に再構築”していくための仕組みだ。

 金融機関に頼らず、AIスコアにも評価されず、
 それでも人と人がつながる。
 「信頼」を再び人の手に取り戻す小さな運動が、今、始まりつつある。

 再起は個人の努力ではなく、社会が再び人を信じる勇気を持てるかどうかにかかっている。
 そしてその勇気は、数字では測れない。


最後に ― 社会への提言

 信用社会は、いま分岐点に立っている。
 AIスコアが人間の“未来”を決めるのか、
 それとも人間が“信用”を再定義するのか。

 倒産した私は、後者の道を信じたい。
 危険金融や脱法金融に追い詰められた仲間たちの無念を無駄にしないためにも、
 私たちはこの社会の「設計図」を見直さなければならない。

 人間を救うのは、制度でもデータでもない。
 人間が人間を信じる力――それこそが、真の信用再生の第一歩なのだ。